星が輝きだしたころ、本番開始となります。
花火屋さんと音楽と、盛り上がってきたところで、本命の吹筒花火の登場です。
ゴーッという音と共に、金色の火炎が噴出します。
ちょっと、画像では迫力と美しさが伝わらないので、動画も一緒にお楽しみください。関係者の自己評価付です(笑)。
テーマは「楽しい田舎暮らし in 徳島」~ 目の前にある山、川、海。自然と伝統、そしてそこに住む人々の生業を教科書に、 子供たちの探検フィールドを創っています。 様々な人たちが繋がることで、日本の自然の豊かさと伝統、そして次の世代に「日本の宝」を渡していければ。自然の中での遊びと仕事を通して、楽しみながら、共に学び、活かし、育つ。楽しい田舎暮らし。移住者のブログです。 どうぞ応援宜しくお願いします!! Nature is not a place to visit. It is home. —Gary Snyder
星が輝きだしたころ、本番開始となります。
花火屋さんと音楽と、盛り上がってきたところで、本命の吹筒花火の登場です。
ゴーッという音と共に、金色の火炎が噴出します。
ちょっと、画像では迫力と美しさが伝わらないので、動画も一緒にお楽しみください。関係者の自己評価付です(笑)。
いよいよ、うみがめ祭り当日の朝。
この日は吹筒花火を土台に固定します。
日和佐川河口付近にある厄除け橋の近くに広い河原があります。
ここが花火を設定する定位置です。
その奥では、阿南にある花火屋さんも花火を仕掛け中。うみがめ祭りは、地元の手作り花火と花火屋さんとのコラボで、より華やかになります。
土台となる2階建ての鉄骨を組みます。
それに、花火を一つ一つ導火線や発火用の線と共に、括りつけていきます。
そして、水上でも一つ吹筒花火をセットします。
ウミガメ祭りに向けて、吹筒花火づくり作業の続きです。
先日から作っておいた火薬を、今度は1~7の番号順に竹筒へ詰めていきます。
この時、しっかり打ち込むこと。
空気が入ってしまうと、火をつけたときに爆発してしまい、上手く花火になりません。
もちろん、危険でもあります。
槌と杭を使って、火薬を1回入れる毎に、叩く回数を増やしながら、しっかりと火薬を締めつつ詰めていきます(竹筒は地中に開けた穴に差し込みます)。
でも、その前に、火薬が湿りすぎていないか?火がうまく着くか?
火薬の状態をそれぞれ確認していきます。
メッシュで濾した火薬を今度は、鉄のすり鉢で擦りながら、湿度を調整していきます。
湿りすぎ上手く火が付かなければ、数分すり鉢で擦って、湿度を調整してから、筒へ入れていきます。
逆に、火が瞬時につくと乾きすぎです。逆に少し湿らせます。
火薬を「ぎゅつと握って、3つに割れるくらいがちょうどいい」。
経験も大事になってきます。
今日は、手作り花火「赤松吹筒煙火」づくりのお手伝いに行ってきました。
昨日の予定が、大風と大雨のため一日延期でした。
火薬をつくるときには、雨は湿気があって逆に良いようですが、風が入って来ると火薬成分が舞ってしまうためとのこと。
筒に入れる火薬には順番があります。1から7まで番号を打ち、硝石や硫黄、灰などの配合を変えて順に作っていきます。
花火の色を出すための金属(粉)や灰も麻や松など、それぞれの組(地区毎の花火つくりの組織)によって、火薬の成分や量、打ち込み方とともに「秘密」があるようです。
女性だけの組みもあり、そこは色んな組の優秀なアドバイザー(旦那さんたち)が、惜しげもくその秘密を授けてくれるのだとか(笑)。
火薬を詰めるときの力加減や湿度なども関係しているのだそうです。
筒には、青竹を使用します。直径20cmの竹(節が多いほど強くてよい)に、2.1cmの穴をあけたもの。外側を布テープで巻き、さらに10~15㎝程の間隔で番線を巻いていきます。これは竹筒が割けるのを防ぐため。竹が乾いたらまた締めます。
次は火薬づくり。秘伝のレシピに基づき、硝石や硫黄、灰などの材料を正確に計りながら、1~7番の番号をつけて配合を変えて、紙袋に入れていきます。
そして、それを篩(ふるい)に掛けます。というより、濾す感じ。細かい200番のメッシュを使うため、濾すの方が表現があっているかも。1~7番まで、それぞれ七回ずつ。
そのとき小石七つ傍に置き、一回終わるごとに、右から左へ(もしくは上から下へ)移動して回数を間違わないようにします。
ツナギに帽子、メガネ、マスク、手袋に長靴。それでも、手や鼻の中まで真っ黒になります。
火薬袋を四つ作って、今日の分は終了です。
花火だけでなく、こんな風に物づくりをして暮らしていると、上流の素材を準備するところから、下流の廃棄するまでの流れがはっきりと分かります。
これまでの生活がいかに中流で、多くの過程が隠されていたのか。見ようとしていなかったのか。どこにその負担が配分されているのかetc.、考えさせられます。それが実感として分かっていれば、「便所のない家」なんかつくらないだろうなとも。